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Freemasonry(フリー・メイスンリー)の歴史

Freemasonryは英国の石工・建築家達の職業組合に端を発しヨーロッパ中世期に広く伝わりました。

当時の知識階層といえるこれらの職人達(現代の我々は職業的メイスンリーと呼びます)は、社会構造を支える一翼であり、高度な知識と技術を有し、その伝承には徒弟制度が導入されていました。また、彼ら職業的メイスンリー達は主として寺院や多国間の国家プロジェクトに携わり一種の国際的立場を有していました。こうして多くの職人達が国境を行き来し、その土地で交流が広がりました。

彼ら職業的メイスンリー達は、他で置き換えられない技術と知識をもってヨーロッパに多様な建築物を残すと同時に、各地のその技能や特権を「認められた」同業者へ組合の持つ職業的秘密とされていた数々の技を伝えていったのです。その時代、高い知識と技術は宝そのものであり、そうであればこそ一般には秘密とされていました。

いつしか、その伝授する方法や相互に仲間である事を確認する手法を創出し、各地に広めていきました。見知らぬ土地で、見知らぬ者同士が相互に援助しあえる環境があるというのは彼ら職業的メイスンリーには計り知れない利益となり、後生のメイスンリーへと伝わってゆきます。例えば、大航海時代やその後の植民地主義の時代、当時は海外へ海を船で渡るというのは命がけの冒険でした。何が起こるかわからない、しかし、向かった先で途方に暮れても、同じメイスンであるというだけで互いに助け合う兄弟達がいるという事実は国家により市民の庇護がない時代、大いなる励みとなりました。これは現代においてもまったく変わることなく発揮されるメイスンの誇るべき友愛・兄弟愛(Brotherly Love)の精神です。

17世紀から18世紀初頭になると、一部技術の一般化も進み、また、盛大を極めた寺院や国家的建築も下火となってきました。この時期において、石工・建築家で構成されていた「ロッジ」と呼ばれる組合組織ギルドは、職業的な縁のない人々を会員として受け入れ始めました。

職人組織が本来持つ、相互に尊敬しあう環境、階級に捕らわれない自由な発想、仲間を守り、そして愛する確固たる繋がりは多くの人の共感を呼びました。多くの階層の人々が入会し(当時のヨーロッパでは社会階級が厳密に存在)、こうして受け入れられた社会の各階層、様々な職業の人々は、「Accepted Mason」(アクセプテッドメイスン)または、象徴的メイスンと呼ばれました。そこには、階級的な意味での人間を区分けする思想はなく、貴賤の提を問わず広い門戸が開かれていたのです。

また、ロッジは自由であり、平等で、そして博愛を尊重する場でした。その為、厳密な社会階層が存在した当時のヨーロッパにおいて多くの入会者がその場の事を秘する必要がありました。

そうして「Accepted Mason」(アクセプテッドメイスン)、象徴的メイスンの入会者が増えると、徐々に大勢を占めるようになり、今日のメイスンになったのでした。




日本におけるロッジの成り立ち

日本におけるフリーメイスンの歴史は遡れば戦前よりロッジは存在します。しかし、戦前は主に日本駐在の外国人が体制を占め、少数の日本人メイスンは海外においてメンバーとなった者が殆どでした。また、社会体制においても戦前の日本は結社の自由を認めず、集会の場としてのロッジは一般的に則したものではありませんでした。戦中においてロッジは閉鎖。解散を余儀なくされ一時期、途絶えてしまいました。

第二次大戦後、日本の敗戦と同時に始まったGHQの戦後統治において、精力的なメイスンであるダグラス・マッカーサー氏を中心に米軍関係者、民生委員会のメイスン達を中心に多くの人々が日本でのロッジ開設に多大なる貢献を果たしました。

まず、国内の進駐軍駐留基地において多くのロッジが開設されました(軍人ロッジ)。今日も多くのロッジが米軍基地内に存在します。また、国内が安定化すると共にこれら基地内のロッジは徐々に日本人をメイスンとして受け入れ始め、その活動が飛躍的に大きくなったのでした。

占領軍最高司令官であったダグラス・マッカーサー氏や米軍メンバーは日本グランドロッジ開設に向けて土地や建物の取得に奔走し、また、新たにメイスンとなった日本人メンバーもそれに協力、極東地域においてメイスンとしての活動が盛んであり、いち早く日本との国交を回復したフィリピンよりグランドマスターを招来し、ついに日本でのグランドロッジが東京に開設。ここに日本におけるフリーメイスンは新たなる活動のステージへと一歩を踏み出したのでした。



Square and Compass Lodge #3, "Kunitachi Lodge"について

Square and Compass Lodge #3(以後、国立ロッジ)は、元々、戦後の駐留軍立川基地内に存在した軍人ロッジを原形に、日本人メイスンを受け入れ、現在の国立市にロッジを構えました。

日本で3番目に日本グランドロッジから「Accept」されたロッジとして50年を超える歴史を持ちます。その歴史において、駐留軍の撤退に合わせてその役割を終えた幾つかのロッジとの統合が行われ現在に至ります。また、現在の国立にロッジを構える以前から、立川基地内にロッジが存在した当時のメンバーも元気にメイスンとして活躍されており、ご興味のある方はお話を聞くこともできます。(詳しくは、ロッジとはを参照)

ここ国立にロッジを構える以前は、立川基地の米軍人が大勢を占めていましたが、現在はさまざまな人種、国籍のメイスンが毎月、会合を開き各々が交流を深めています。

友愛をモットーとするメイスンにおいては人種、国籍、宗教の一切を問わず人間の形而上的生き方を学ぶとするロッジの運営方針の下、多様性に富んだ交流が行われています。基本的に、日本語が主流ですが、多様な国籍のメイスンがいる中、英語での会話も当然多いです。しかし、英語が出来ないというご心配はいりません。互いに四苦八苦しながらも「話をしよう」という姿勢こそが大切で、配慮しあった前向きな姿勢が意思の疎通をきちんとこなしてくれます。そうして互いの理解を深めようと努力する程、とても大切な関係が築かれます。

国立ロッジでは、英国グランドロッジを範として運営されておりメンバーは男性のみとされています。紳士としての態度が要求されます。これは、職業的メイスンリーの時代、危険な建築工事や工作には男性のみが従事した故事より現代に引き継がれており男性のみメンバーとされています。しかし、親縁団体であるイースタン・スターやレインボーガールズもあり、また、国立ロッジをサポートしてくれている女性の方々をお招きするイベント、メンバー以外の参加が可能とされる活動においては、女性も参加することが出来ます。(詳しくは、メイスンについてを参照)

毎月第一日曜日に、メンバーはロッジに集まり、食事会の後に集会を行っています。

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